名前がつく前から、好きだった

ロリィタのことって、気づくとずっと頭のどこかにあります。

SNSを開けば自然と目に入るし、クローゼットを開けてもそう。
街を歩いていて何かを見たときにも、「これ、ロリィタっぽいな」って、すぐに結びついてしまう。

たとえば、カフェの照明とか。
少し落ち着いた色味の木のテーブルとか、ガラス越しに見える空気感とか。
そういうものに触れたときに、「ここでロリィタを着ていたら、きっと似合うだろうな」って、自然に思ってしまう。

だから、「ロリィタのことを思い出す瞬間があるか」と聞かれると、少し違う気がするんです。
思い出すというより、ずっと繋がっている、に近い。

でも最近、ひとつ気づいたことがあって。

私は、ロリィタだから好きなんじゃないんだな、って思ったんです。

好きになったものが、たまたま「ロリィタ」と呼ばれる界隈にあった。
それだけなんですよね。

レースが好きで、シルエットが好きで、あの空気感が好きで。
丁寧に整えられたものとか、少しだけ背筋が伸びるような佇まいとか。
そういうひとつひとつに惹かれていった結果、気づいたらロリィタに辿り着いていた。

そして、それに気づいたきっかけのひとつが、擬洋風建築でした。

昔からそういう建物が好きで、いろんな場所を見に行っていたんです。
ロリィタという言葉を知るよりも、ずっと前から。

あの独特の空気感とか、少しだけ時間が止まったような雰囲気とか。
そういうものに惹かれていた感覚は、今思えばロリィタに感じている「好き」と、とても近いものでした。

だから、もし“ロリィタ”っていう言葉がなかったとしても、
私はたぶん、同じものを好きになっていたと思います。

ジャンルから好きになったんじゃなくて、
好きが積み重なった先に、ジャンルがあった。

でも、最初からそれが分かっていたわけじゃありません。

むしろ最初は、「ロリィタっていうジャンル」に対して、少し距離を感じていました。
自分には関係のないもの、って思っていたし、そこに入っていいのか分からなかった。

だから、「ロリィタが好き」と言うことにも、どこかで躊躇いがあったんだと思います。

でも、自分の中にある「好き」を一つずつ見ていったときに、
それを全部まとめる言葉として、たまたまロリィタがあった。

それだけだったんですよね。

そう思えるようになってから、少しだけ気持ちが軽くなりました。

ロリィタが好きかどうか、って考えなくてもいい。
ただ、自分がときめくものを選んでいけばいい。

その結果が、ロリィタでもいいし、違ってもいい。

ロリィタという名前に縛られなくても、
その中にある“好き”は、ちゃんと自分の中に残っているから。

たぶん私は、これからもロリィタが好きだと思うけれど、
それは「ロリィタだから」じゃなくて、
その中にある“好き”が、ずっと変わらないからなんだと思います。

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