ロリィタは“装い”以上のものになった

このシリーズも、いよいよ最後の章になりました。
ここまで読んでくれたあなたなら、もう薄々気づいているかもしれない。

ロリィタは、私にとってただの“ファッション”じゃない。

最初は「似合うかな」「大丈夫かな」って不安のほうが大きかった。
鏡の前で落ち込んだ日だって、数えきれないほどある。
でも、それでも“好きな装い”を続けてきたのは、私がロリィタそのものに救われてきたから。

ロリィタの装いをする日は、心の高さが自然と変わる。
装いがスイッチになって、自分の中の“素敵でいたい私”が前に出てくる。
その積み重ねがいつのまにか、私の生き方そのものを形づくる軸になっていった。

私は常にロリィタの姿ではないし、日々の大半はラフな格好で過ごしている。
それでも、ロリィタという存在は私の日常を静かに支え続けてくれる。
「こうありたい」「こう生きたい」という気持ちを思い出させてくれる、心の背骨のようなもの。

ロリィタの装いをすると、自分を大切にしようと思える。
“好き”を纏うことが、自分を慈しむ行為そのものになる。
そしてその感覚が、ロリィタ以外のファッションにも、日常のいろんな選択にもにじみ出していく。

気づけば私は、
ロリィタを着る私ではなく、
ロリィタとして生きる私になっていた。

これは大げさでも、美化でもなくて。
ただ静かに積み重ねてきた“好き”の選択が、私の人生をやわらかく変えてくれたんだ。

最後の章にこれを置いたのは、
あなたにも、あなたの“好き”が生き方を変えるかもしれないってことを伝えたかったから。

ロリィタは私にとって、もう“装い”以上のもの。
これはファッションを超えて、私の生き方に”革命“が起きたことの、静かな記録。

コメント