たぶん、私はロリィタへの愛が足りないんじゃないか。
そんなふうに思ってしまった日がありました。
ロリィタが好き、という気持ちは変わらない。
むしろ、大事にしている自覚はある。
それでも、周りのロリィタさんたちを見ると、どうしても引け目を感じてしまう。
みんな、いろんなロリィタ服を着ている。
ブランドにも詳しくて、コーディネートの幅も広い。
目立つことを恐れず、堂々と装っているように見える。
それに比べて私は、暗い色を選びがちで、
落ち着いたクラシカルな装いばかり。
着方によっては、ロリィタだと気づかれないこともある。
ロリィタに正解はない。
そう思っているし、今もその考えは変わらない。
SNSに映っている姿が、ほんの一部だということも、頭ではわかっている。
それでも、心のどこかで
「私はロリィタと名乗っていいんだろうか」
そんな問いが浮かんでしまう。
この感情の正体は、たぶん劣等感なんだと思う。
いろんなロリィタを着ている人たちに対して、
自分はまだそこに立てていない気がしてしまう。
そして、その劣等感は、
「ロリィタというものに対する申し訳なさ」に変わっていく。
こんな自分が、ロリィタを名乗っていいのかな。
愛が足りないんじゃないかな。
もっと熱量がある人が名乗るべきなんじゃないかな。
でもね、
ロリィタが嫌いになることは、一度もなかった。
好きなのは変わらない。
ただ、この気持ちのままでは袖を通せない、
そんな感覚だった。
今思うと、私はまだ
自分に「許可」を出せていなかったんだと思う。
「このくらいでロリィタを名乗っていい」
「この愛の形でも大丈夫」
そう言ってあげられるほど、
自分を許せていなかった。
じゃあ、ロリィタを名乗らなければ楽になるのか。
そう考えたこともある。
でも、想像してみると、
そこには喪失感がありました。
ロリィタの友達をこれからも増やしていきたい。
誰かの隣に座るなら、ロリィタを名乗れる自分でいたい。
それに、名乗らない選択は、心が少し離れてしまう気がした。
だから私は、まだ揺れている。
劣等感もあるし、申し訳なさもある。
どちらも強くて、たぶん連動している。
それでも、
「好きだから着たい」という気持ちは、ここにある。
もし、これを読んでいるあなたが、
同じように立ち止まっているなら。
ロリィタへの愛が足りないんじゃないか、
そんなふうに思ってしまう日があるなら。
それは、愛がないからじゃない。
大事にしているからこそ、簡単に名乗れないだけかもしれない。
まだ完全に自分を許せていなくても、
揺れたままでも、
好きでいることをやめなくていい。
私は、そう思うことにしました。


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