この文章は、新しいシリーズのはじまりの一篇です。
「過去の私」に向けた手紙のようなものを、少しずつ書いていこうと思います。
ロリィタの話をしているけれど、いきなりロリィタの話から始まるわけではありません。
もっと手前、「かわいい」や「素敵」を自分に結びつけることが怖かった頃の私のことです。
誰かを導くためじゃなく、あの頃の私の隣にもう一度座るために。
そして、同じ場所で足が止まっている誰かの息が少しだけ楽になったらいいなと思っています。
* * *
今の私からは想像がつかないかもしれませんが、学生時代は制服以外でスカートを持っていませんでした。
小学生のころからずっとジーンズばかりで、「かわいい」を自分と結びつけることが、なんだか怖かったんです。
今思うと、「かわいい」から拒絶されるのが怖かったのだと思います。
可愛いに手を伸ばさなければ、拒絶されることもない。
「私はかわいくない」「かわいくなれない」って絶望しなくて済む。
だから私は、かわいさよりも無難を選んでいたのかもしれません。
そもそも自分の容姿にコンプレックスがあったから、お洒落をすること自体が恐れ多かったんですよね。
好きなものがあるのに、好きだと認める前に「私には関係ない」と言ってしまう。
あれは隠していたというより、自己暗示に近かった気がします。
「かわいいものに興味ないでしょ、私は」って。
でも、憧れはちゃんとありました。
思い返すと、いくらでも出てきます。
通っていた学校の部活にチアリーディング部があって、ずっと羨ましかった。
大変なスポーツなのに、かわいくて華やかで、そこにいる人たちが眩しかった。
サッカー部のマネージャーもやってみたかったんです。
でも、私が通っていた学校はサッカー部が有名で、マネージャーの子たちもみんなかわいかった。
本当は「かわいいかどうか」なんてマネージャーに関係ないのに、当時の私はそう思えなかったんです。
「私には無理」って、勝手に線を引いて諦めた。
結局いちばん怖かったのは、「かわいくない私が、かわいいの中に入ること」だったんだと思います。
誰かに「なんでアレがかわいい集団の中にいるの?」って言われたらどうしよう。
そういう言葉が、現実に起きるかどうかより先に、頭の中で何度も再生されていた。
だから私は、かわいいものに近づかないことで、自分を守ろうとしていたんだと思います。
今なら分かります。
あの頃の私は、怠けていたわけでも、努力が足りなかったわけでもなくて、ただ怖かっただけなんですよね。
拒絶される前に、自分から距離を取るしかなかった。
だからもし、今も「かわいい」が遠いと感じる人がいたら、急いで変わらなくていいと思います。
「好きかもしれない」って気持ちがある時点で、もう十分すぎるくらいちゃんと始まっています。
近づくのが怖いなら、まずは遠くから見ていていい。そこからでいい。
そして、あの頃の私に伝えたいんです。
今の私は、自分の「好き」と「かわいい」と「素敵」に囲まれて、ちゃんと幸せだよって。


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