ロリィタを着るとき、
私はときどき「今日は“過ごしやすさ”を大事にした装いを選ぼう」と思います。
それは、家を出る直前に気持ちが揺らぐというより、
コーディネートを組んでいる段階で自然と決まることが多いです。
私の中には、フォーマルとカジュアルのはっきりした線引きがあります。
たとえば、お茶会やイベント、写真を撮ることが前提の日。
そういう日は、一張羅と呼べるような少し緊張感のある装いを選びます。
上半身からウエストにかけてのラインが綺麗に出る服は、正直言って楽ではありません。
でも、その分、写真に残したいと思えるし、「この日のために着た」と胸を張れる。
一方で、パーティーやお茶会の打ち合わせでお店に集まって、
ご飯やおやつを食べながら、長時間おしゃべりをする日。
目的が「計画を立てること」なら、私は少しカジュアルダウンした装いを選びます。
ずっと座って、飲んで、食べて、話す。
お店の売上にも貢献したいし、何よりその時間を気持ちよく過ごしたい。
写真に残すことより、その場で過ごす時間そのものを大切にしたい日もある。
だから私は、フォーマルを選ばなかった自分を否定しない。
それは、手を抜いたわけでも、誰かを軽んじたわけでもなく、
今日の目的に合わせて、過ごしやすさを大事にした結果だからです。
この線引きができるようになってから、
ロリィタは、ずっと身近でやさしいものになりました。
毎回全力でいなくていい。
毎回、一番気合の入った服を着なくてもいい。
力を入れる日と、力を抜く日。
その両方を、自分で選べること。
それは、ロリィタを「続ける」ための、大事な技術だと思っている。
もし、「今日は過ごしやすさを大事にした装いを選んだ」
その判断に、どこか後ろめたさを感じてしまうなら、私は、こう声をかけたいです。
それは、息切れしない選択ができた、ということだよと。
毎回全力だと、疲れてしまう。
疲れて、苦しくなって、ロリィタが好きなのに着られなくなる方が、ずっとつらい。
“太く・濃く・短く”楽しむのも、もちろん間違いじゃない。
でも私は、「長く」楽しめるようになってほしいと思っています。
そのために、今日は過ごしやすさを大事にした、
その選択をした自分をちゃんと肯定してあげていい。
ロリィタは、自分を追い込むための装いじゃない。
今日の目的に合った選択ができたなら、
それはもう、十分すぎるほど素敵なコーディネートを組めたって言っていいんじゃないでしょうか。


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