これは「過去の私への手紙」というシリーズの一篇です。
誰かを導くためじゃなく、あの頃の私の隣にもう一度座るために書いています。
同じ場所で足が止まっている誰かの息が、少しだけ楽になったらいいなと思っています。
* * *
買った日のことは、いま振り返っても少し不思議です。
学生の頃、ショッピングモールでふらっと見つけた、クラシカルな雰囲気のお店。
落ち着いた照明に、アンティーク風の空気。
店頭のトルソーに目を奪われたのに、最初は手を伸ばせませんでした。
それでも忘れられなくて、結局戻ってしまって。
試着もできないまま、トルソーが着ていた一式をまとめて買って、さっと店を出て帰りました。二通目に書いた出来事の、その“続き”です。
でも、その日の私の気持ちは、意外と分かりやすいものじゃありませんでした。
嬉しい、でいっぱいになるわけでもない。達成感があるわけでもない。
いちばん近い感情は、たぶん「戸惑い」でした。
どうしてこの時は諦めきれずに買ったのか、よく分からない。
どうして手を伸ばせたのかも分からない。
自分で決めたはずなのに、自分のことなのに、感情が追いついてこない。
買った袋を持っているのに、現実味がないんです。
家に着いて、袋を開ける。
服を取り出して、ハンガーにかける。
クローゼットの一角に「それ」がある。
その光景が、どこか他人事みたいで――
「え、これ……私のなんだっけ?」
たぶん私は、“好き”を遠くから眺めている間は平気だったんだと思います。
素敵だな、いいな、憧れるな。
そう思うだけなら安全で、誰にも何も言われない。自分も傷つかない。
でも、手元に来た瞬間から急に現実になる。
現実になるってことは、急に“自分”と結びついてしまう。
私はこれを持っていていいのかな。
私はこれを好きって言っていいのかな。
私は――これに、ふさわしいのかな。
この「ふさわしい」が、当時の私にとって一番重かった気がします。
似合うかどうか、とか、流行かどうか、とか、そういう話より先に。
自分は可愛くないし、人として劣っていて、自分にそんな価値がない。
そんな自己否定や自己肯定感の低さが、私をじわじわと引き戻していた。
だから、買ったのに落ち着かない。
自分のものなのに他人事みたい。
嬉しいはずなのに、確信が持てない。
だけど、不思議と「捨てたい」とは思わなかったんですよね。
分からないままでも、戸惑いながらでも、手元に置いておきたかった。
その時点で、もう答えは出ていたのかもしれません。
当時の私に、いまの私から語りかけるなら、こう言います。
その葛藤は無いにこしたことはないけれど、それがあったから今の私がいる。
だから、とことん悩んでいいよ。
途中で考えることを投げ出さないでくれてありがとう。
落ち着かなかったことも、現実味がなかったことも、他人事みたいだったことも。
全部、当時の私が弱かったからじゃない。
ただひとつ、まだ自分の中で降りてきていなかっただけだったんだと思います。
「好き」と言っていい許可が。


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